どうして赤ベコなのか?
皆さんは、福島の会津地方に伝わる張り子の玩具赤ベコをご存じですか?
2011年、東日本大震災による福島原発事故後は復興のシンボルとなりました。なぜ赤ベコが復興のシンボルになったのでしょうか?
今から600年くらい前に会津地方で地震があり円城寺を言うお寺が倒壊してしまいました。再建しようと材木が集められましたが、過酷な労働に、荷物を運ぶ牛たちが途中で命を落とします。その時赤毛の牛がやってきて、荷物を運び、お寺は無事に再建したという伝説があります。
張り子の玩具は、蒲生氏郷が、1590年に会津藩主になり、城下町の開発に力を注ぎました。下級武士の内職として京都から張り子職人を招いて、技術を習得したのが会津張り子といわれ、先述した赤ベコ伝説から赤ベコが張り子として作られました。
当時天然痘が流行しており、子どもたちを病気から守るために、縁起のいいものということで赤ベコが選ばれ、黒いぶちは天然痘のかさぶたを意味しており、こどもたちのかわりに張り子の赤ベコが重荷を背負うという意味があるそうです。
赤ベコが、東日本大震災からの復興のシンボルとして選ばれたのも納得ができます。
私たちTeam Bekoは、赤ベコ伝説にあやかり、2018年、シリアに赤ベコを持っていき、小児がんの子どもたちにプレゼントしました。
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by team-beko
| 2020-03-22 01:50
| 医療支援